ここにいるのは精神的にツラいものがある。



007:逃げてしまおう




 ピンポーン。
 リビングでテレビを見ていたら家のインターホンが鳴った。日曜日の昼間からいったい誰がきたのか。昨日はカエデの友達がくると聞いていたが、今日はなにも聞いていない。もしかしたら今日もだったのか、それとも宅配か。なんにせよ、カエデは部屋から出てこないから、仕方なく出ることにした。
「はい、どちら様?」
「棚木ですー」
 は? と言いたくなった。まさか小学校のときに同じクラスだったことのある棚木なのか? なんで今きたのか……もしかして、カエデとまだ関わりがあるのか?
「……なんでお前が」
「やあ、ハヤテじゃないか! 久々だね! 今日はカエデとアニメ鑑賞する約束をしたんだけど、いるかい?」
「いるとは思うけど……寝てるんじゃね?」
 昨日のことを少しだけ思い出して、なんとも言えない表情になりつつ考える。部屋からまだ出てきていないとなると寝ているのだろう。
 棚木とは良い思い出がない。なにやら棚木はカエデのことを大層気に入っているらしく、俺がカエデから離れていった頃にひょっこり現れ、カエデの隣にいつの間にかいた。棚木自体もオタクらしく、周りからは少しばかり引かれていたが、カエデと違って普通の話も結構できるから、いじめられたりハブられたりはなかったようだ。それはまあ、福太郎がいたからってのもあると思うが。
 福太郎というのは、雁 福太郎といって、寺の住職の1人息子。棚木は実家でいろいろあったらしく、幼稚園の頃から現在進行形で福太郎の家に居候しているそうだ。
「あー……5時にメールしたら起きてたし、朝まで起きてたのかな? 起きるまで待たせてもらっていい?」
「起こしたらいいじゃねえか」
「いや、お疲れのところ悪いから、それはいいよ。お邪魔します」
 にこりと笑って、知った我が家のような足取りでリビングに向かう。片手には紙袋とビニール袋を持っていて、映画鑑賞でもするつもりだったのだろうかと、なんとなく予想をつけた。
「カエデ起きるまで暇だし、ハヤテ暇なら相手してよ」
「あ? ……いやまあ、いいけどよ」
「やった! じゃあこれ観よう!」
 取り出したのは一枚のDVD。その一枚に6話分のアニメが収録されているらしい。6話って3時間じゃねえの。長いな、てかアニメとかあんま興味ねえし、どうしようかな。とか考えてる間にさっさとデッキにDVDセットしてしまう。本当にお前は遠慮ねえな。
「このアニメの男の子がさ、カエデそっくりなんだよねー」
「へえ」
 アニメなんて何年ぶりに見るだろうか。棚木はテーブルに持ってきていたビニール袋からお菓子を取り出して一緒に食べようと言い出すから、家の菓子棚からお菓子を見繕い、冷蔵庫からお茶を取り出し、テーブルに置いた。そういえば、昼ご飯食べてなかったな。
 3話ぐらいまで見たところで、気になったことがある。カエデに似てるという男が出ると言っていたが、それっぽい奴がいない。棚木はいつもよりも大きなテレビで見られると嬉しそうに見ていたが、所々で吹き出したり、よくわからない単語(オタク用語?)を連発していた。なにこいつこわい。
「あ、やっと出てきた! この子だよー、カエデに似てるの!」
 一時停止をして、テンション高く教えてくれる棚木。そのテンションこわいと思いながら、よくよく見ると確かに似ている。ボサボサの黒髪に黒縁眼鏡、おどおどする様なんてそっくりだ。けれど、
「なんか違う」
「そう?」
 残念そうにしょんぼり顔をして、再生ボタンを押す。なにが違うんだろうか。少し自信家っぽいところか、はきはきものをいうところか、ふてくされた顔だろうか、ファッションセンスだろうか。違和感を探してみたらいっぱい出てきた。これ違和感っていうか、似てないだけじゃないのか?
 あ、でも、一番の違和感は、たぶん――
「かわいくない」
「は?」
「え?」
 気付かず口に出していた。今更違うと弁明してもコイツの前では意味がないことを知っているので、ニヤニヤする棚木から顔を逸らして溜め息を吐く。本当にもう、なんなんだ。昨日からいろんなことがおかしい。関係を持ったというだけで、ここまで感覚が変わるものなのか。それとも、カエデから離れていったころからの隠していた感情がここまで膨れ上がったのか。
「ハヤテはさ」
「なんだよ」
「カエデのこと嫌いなの?」
 もしゃもしゃとお菓子を食べながら、そんなことを聞かれる。目線はテレビ画面から離していないところをみると、本気の尋問ではなさそうだが、ここでNOというのは、答えとしては間違っているのだろう。カエデの数少ない友人にして、カエデを溺愛していて、尚且つカエデが心を許している相手となれば、それは敵と見なされる覚悟を持たなければならないということだ。
 少し、テレビの音が小さくなった気がする。自分の心臓の音がこんなにもうるさいのだと、今初めて知ったかもしれない。額に滲んだ汗が鬱陶しいと思えた。
「俺は、今以上にアイツを嫌いになることはない」
「それってさ、メチャクチャ嫌いとも聞こえるし、メチャクチャ好きとも聞こえるね」
「好きに捉えてくれ」
 テレビ画面から離されることのない目線は一度もこちらに向かないけれど、ほくそ笑んではいる。物凄く殴りたい衝動に駆られたが、相手は腐っても女なので、それはしないでおく。俺ってばなんて紳士なんでしょう。
「カエデはハヤテのこと……もがっ」
「何を言おうとしてるんだ、瀬斗」
 棚木が気になるセリフを言おうとするも、起きてきたカエデに手で口をふさがれて肝心な部分を閉じられてしまった。棚木はいったいなにを知っているのだろうか。カエデと仲がいいからこそ、たくさんの“俺の知らないこと”を知っているのだろう。そんなことがとてつもなく、苛立たしい。
 それにしても、そろそろ手を離すべきだと思う。棚木の顔が青くなってんぞ。
「ぶはっ! どう思ってるんだろうねって言おうとしたらこれだよ!」
「思わせぶりなセリフ吐くなよ!」
「えーえー、すいませんね」
 申し訳なさなど微塵も見せずにそんな言葉を言ってのける。カエデはちらりと棚木を一瞥してから、深い溜め息を吐いた。俺をしっかり見ないようにしてやがりますね。あからさま過ぎて、一周回って腹立たしいわ。
「カエデが寝てたから、ハヤテとアニメ見てたよ」
「起こしてくれたら良かったのに。……ハヤテも、悪かったな、こんな奴の相手させて」
「え、あ……いや、暇だったからよ」
 イライラしていると、急に話かけられてしどろもどろ話してしまう。なにもそんなに焦らなくて良いだろうに、驚いた表紙に手元に置いてあったコップを倒してしまう。あまり入っていなかったとはいえ、こぼしてしまったことには間違いなく、フローリングに水滴が溜まって、水溜まりを作っていく。
「あー、ハヤテやっちゃったなー」
 クスクス笑いながら棚木はグラスを元に戻し、カエデは台所から布巾を持ってきて、あっという間に全てを片付けてしまった。なんだこの息の合う奴ら。本当に、嫉妬しそうなほど仲がいい。少しばかり吐き気がする。これが、嫉妬か。嫉妬しそうなほどじゃないな、嫉妬してんだわ、今。
「……俺、ちょっと出掛けてくるわ」
「え、あ……行ってらっしゃい」
「……おう、いってきます」
 その一言だけでも、とてつもなく嬉しい俺は、やっぱりカエデが好きなんだろう。
 携帯電話と財布だけ持って家を出る。特に当てがあるわけではなかったが、少しぶらついてから帰ればいい。取り敢えず、棚木とカエデが一緒にいるところを見たくはなかった。嫉妬ほど虚しい感情はないなと今更ながらに感じて、今までこんな感情をよく抑えてられたなと思わず苦笑した。



to be continud
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